Ducati 899 Panigaleいじり

Ducati 899 Panigale いろんな意味でいじりとバイク全般

運を天にまかせて

なんの話かと思うようなタイトルですが、今回は一般公道での運転について話します。

 

よくあるタイプの話なのですが、道路工事現場で片側交互通行になっている「工事業者が設置した信号機」についてです。最初に言ってしまいますが、この工事業者が設置した信号機(よく残り秒数がLEDで表示されているもの)は守らなくとも道路交通法規上は信号無視違反にはなりません。

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先日、パニガーレでツーリングをしている時、川沿いの狭い県道でこの信号機が設置されていました。おそらく、崖の法面が崩落したとかで修復工事しているのでしょう。日曜なので現場作業員はおらず、この信号機だけが工事現場の往来の安全を守っている状態です。工事区間はなんとか見渡せるくらいの全長300~400mくらいの遠さで向こうの信号機のあたりも見えます。私は先頭から三台目に待っていました。

 

果たして、ここからあなたはどちらの目線でこの記事を見るでしょうか。

 

「ああ、工事区間が長いしけっこう長い信号だな、1分は待つパターンだ・・」と思い、私はニュートラルに入れハンドルから手を離しそばを流れる川などを眺めて完全にリラックスしていました。どうせすぐ動く気配はなかったですしね。どうせならエンジン切って待ってもいいくらいでした(パニガーレ、アイドリング放置すると本気で股下が熱いですし)。向こうからの対抗の車が工事区間を抜け通りすぎていきます。

 

と、先頭の軽トラックがピクッと動きました。

「あれ?もう?」と思いつつギアをローに入れ、私も発進待機します。先頭から動き出し、私も前進をはじめました。「しかし、早くないか・・??」予想は当たりました。

私が信号のところに来た時「やっぱりか」と思いました。信号はまだ赤だったのです。一番前の軽トラは赤信号を完全無視して片側交互通行区間に入っていったのです。しかも、残りの秒数は「20秒」ちょっと待てよ、とさすがに私は信号機のところでストップです。ところが二台目の車はついていってしまいます。さらに、私の後ろで待っていた二台の車も追い越して行ってしまいました。残り5秒くらいで待ちきれずに出る堪え性の無い人はよく見ますが、残り20秒もあるのですよ・・。相手もギリギリで工事区間に突入していれば余裕で鉢合わせする時間だというのは、目の前の工事区間の長さを自分の目で見ていればわかるはずです。

 

一枚目は動き出した直後(私は三台目)、ここらかも向こうの工事用信号の赤が見えます。先頭の白い軽バンは赤で完全に進入しています。私が赤信号のすぐ前まで行った時に残り20秒でしたから、この時点では「赤信号は残り30秒はあった時点で白い軽バンはスタートした」と推測されます。次のシルバーの車もついていってしまいます。

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◯赤信号を確認して驚きすぐ脇に停止しようとするも、後ろの車も驚いて停まった私を平気で追い抜いていく。

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この時点でも余裕でまだ赤信号です。

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しかも、後続の車も赤信号を分かっているのかいないのか、疑いなくそれについていってしまう。信号を見ていない、自分の頭で状況判断ができない人たちなのでしょうか。この長い工事区間で残り20秒でもう対向車は来ない、という不確定要素満載の状況で「イチかバチか」に賭け行動する人には、巻き添えも食いたくないので近づきたくないものです。

 

信号を守らない人はこう強弁するでしょう「工事区間の信号は道交法上、守らなくても問題はないんだよ。」「いつも通っているから、残り20秒くらいで区間内に対向車がいなければ、行ってもほぼ大丈夫と分かってるんだよ」と。

 

なぜ、こんなしょうもない「賭け事」に大事な運と命を賭けられるのでしょうか。

 

人の持つ運というのは強弱があります。これは皆さんが生きてきた中でも感じているでしょう。人はけして全てにおいて平等ではない。理屈で表せない運によってもそれは左右される。そして人生は人それぞれのレベルで成功を収め別れていく。これは皆さんがどこかで分かっていることだと思います。皆が皆、飛行機のパイロットや芸能界のスターやプロスポーツ選手にはなれない「そういう星の下には生まれていない」というのを思春期に現実として直面し、一度絶望するのと同時に胸に刻みこむことです。

 

そして、若い内は強烈な運に恵まれているとしても、歳を重ねる中でその運はどんどん少なくなっていきます。輝いたスターが自己を磨かず晩年で凋落したり、スポーツ選手が引退後に豪遊し、薬物に溺れて残した偉大な記録をすべてフイにしてしまうのと同じです。運が並の人間は早くにそれを実感し、運の強い者も自分が老いていくのと同じように強運も弱まっていくのを実感するのです。運には人それぞれ強弱があるが、効力の有る回数には限りがありその点においては平等である、というところです。

 

不慮の事故というものがあります。

自分に全く非のない状況でも、「なぜ!?そのタイミングで」という具合に災いが降りかかってきて亡くなってしまう人がいます。山道を走っていたら落石が「たまたま車に直撃した」、工事現場に通りかかったら「たまたま工事用巨大クレーンが倒れてきて潰された」、「高速道路の橋桁の落下事故がたまたま起きて潰された」「精神的疾患・又は違法薬物を常用している人間の運転する車と関わってしまった」。ニュースで流れるとなんともいえない気分になるでしょう。だれが言っても「なんと運の悪い・・」という言葉しか出てこないでしょう。落石対策は行われていたのか、事故防止対策は行われていたのか・・そんな表面上の決着をつける言葉で結末を濁され「そんなこと言ったってキリが無い」という空気で終わっていくニュースです。しかし私に言わせれば「運を使い果たしていた結果だから」です。

 

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どこかで調子に乗って「不確定要素・危険」に自ら飛び込むことを繰り返し、運を無駄遣いしていると、この「たまたま」にいつでも巻き込まれると私は思っています。スピードを守っているとしても「信号でのフライング発進」「一時停止で完全に止まらない、左右を見ない」「ウインカーが周りから見えるようしっかり出さない」「慢性的な黄色信号の強引な突破」「必要もないすり抜け行為の常態化」など、スピードが遅いだけで、見た目だけの安全運転な人なんていくらでもいます。漫然とした運転は運の無駄遣いに支えられていると自覚しましょう。そして、運を使い果たしたその先には「たまたま」という日が待ち受けていることも。

 

戻りますが、前述した信号を無視していった車たち、こちらはリッターバイクですので普通に走ってもすぐ追いつくので後ろから観察してみたのですが、それほど飛ばしていなかったのですが、すぐに二度ほど危ない目にあっていました。一度は道路脇から、完全に轢かれても構わないというくらいベストなタイミングで歩行者が道路を横断しはじめてビックリブレーキ。もう一度は駐車車両を追い越そうと大きくはみ出してきた対向車にベストのタイミングで鉢合わせして驚いて急ブレーキ。

こういうことなんですよね、運を無駄に使った後というのは。きっとこういう細かい危ない目をコツコツと繰り返していつかプツッと運命の糸が切れるように重大な「たまたま」の瞬間が訪れるのです。なんで私がこんな目に!?、終わりの瞬間にそう思うのでしょうが、よく振り返ればそれは当然のことなのです。

 

自分の技量以上でコントロールが及ばないような、カッとした無謀な運転・行動をしている時にできればこう思ってください。こんな不確定要素に運と命を放り込む「意味と価値」が今、本当にあるのかどうか。

 

熟慮した上で意味を見出し確信を持って「ここぞ!」という時に賭ける運はいいのです。今回の信号無視のような、なにも考えずにノープランでイチかバチか的な運の無駄遣いは人生を短くしているだけということに気がつきましょう。私はその人に「たまたま」が訪れても同情はしません。どういう運の使い方をしてきたか残念ながらわかるからです。その人が無駄にそこで終わった人生の墓標を横目に、私は運を大事に使い自分の人生を歩んでいくだけです。

 

私を非情な人間としてこのブログから立ち去ることも止めません。

ただ、人生で限りある運を無駄遣いしている人があまりに多いので記事にさせてもらいました。